曙橋人 第1回 [住吉町商工会長 大角和平インタビュー Part2]

あけぼのばし商店街でよく見掛ける“街の人”を紹介する【曙橋人】のコーナーです。
商店街は、商品やサービスを提供しているだけでなく、地域の子どもの見守りなど安心安全の要でもあり、高齢者が集う場となるコミュニティの核でもあります。その人の輪を作っているのは、“街の人”です。
今回は、あけぼのばし商店街を運営する住吉町商工会長「大角和平さん」のインタビューPart2です。
⇒【Part1は、こちら
※ 本稿は2016年の記事です。記事中の役職等は当時のままにしています。
※ 現在のあけぼのばし商店街の会長は「三輪政憲さん」です。現会長のインタビューもありますので、そちらもご覧ください。

old_tamaya04_400<写真01> 苦労した修行明け。

修行から戻ると、玉屋の1日の売り上げは3,000円だけだった。

old_tamaya01_600<写真04> 自分で工夫して明るい店舗にしていった。「いちご大福」は、“生んだ”のではなく、“授かった”作品。

Q 前回も伺いましたが、静岡のお店で修行して、昭和49年に実家である「大角玉屋」に戻ってきたら、1日の売り上げが3,000円しかなかったとか。
A そうでした。
あの頃は、不二家のお菓子やアイスなども置き、駄菓子屋さんに和菓子も置いてあるというようなお店でした。
また、この辺も、地下鉄もまだなく、バスが練馬車庫行、豊島園行、浅草行の3本あるだけの、不便な場所でした。新宿も、昭和40年前後に地下のターミナルができるまでは、今のような賑わいはなかったですし、ましてや、曙橋なんて陸の孤島という感じでした。
Q そんな状況から脱却するために、どのような手を打たれたのですか?
A とにかくお金もなかったですからね。手を打つも何も、先立つものがないので、全部手作りでした。
最初にやったのは、お客様に「お店が開いている」ということを認識してもらうことでした。なにせ、全然お客様がお店に入ってこなかったので。その頃扱っていたペコちゃんの人形を店内から撤去したり、お店の入口の戸を全部開くようにしました。
Q お店の入口の扉が開かなかったのですか?
A 私がここに戻ってきたときは、入口に6枚あった戸のうち、3枚がずっと閉めていたものだから、下の滑車の部分が腐ってしまっていて、開けたくても動かない状態でした。その腐った部分をノコギリで切り、板を貼り付け、台車の滑車をくっつけて、とにかく動く状態にしました。

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<写真02> 靖国通りの近くにあった頃のお店の様子。
Q それもご自分でやられたのですか?
A そうですよ。だって、お金なんか全然なかったですから。内装もやりましたよ。ペンキを塗って、壁紙も買ってきて自分で貼りました。そうして、何とか、入口が全部開いていて、明るい店内という状況は作りました。
Q その他には、どのような手を打ちましたか?
A 商品の仕入れをやめました。どこでも買えるような商品を並べるのをやめて、自分のところで作った商品を並べるようにしました。
Q ナショナル・ブランドの商品をやめるのは勇気がいりますよね?
A そうですね。でも、どこでも買える物では勝負ができないので。そこからは、自家製のお菓子を食べてもらうために、安売りも沢山やりました。とにかく手にとって貰わないと話にならないので。
ホールケーキもやりましたよ、当時は。結構売れました。クリスマスケーキなどは、1日で130台売れたときもありました。

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<写真03> 当時の店内の様子。
Q もうやらないんですか?今でも玉屋でケーキが売っていたら、食べたいと思うお客様は多いのではないかと思うんですが。
A いやいや、もう和菓子一本です。
昭和55年に地下鉄が通り、スーパーの「三徳」が曙橋駅の近くに出店してきて、お菓子もケーキも何でも扱うって言っていたのでね。同じものを扱っていたら絶対にかなわないと思っていましたし、逆に、自家製の和菓子だけでやろうと決心がつきました。
Q 三徳の影響はありましたか?
A その時期にお店の改装も行いました。和菓子屋として再出発だと、却って武者震いしたくらいです。三徳さんも「おはぎ」なんかを最初は置いていましたが、1年ほどで置かなくなったようです。和菓子なら、負けない自信はありました。
Q その改装が現在の店舗に繋がるのですね?
A うちは和菓子屋ですが、和菓子屋さんのイメージを打破したいと思っていたので、フランス料理店の店舗デザインで名を馳せていた綾野喜心氏に、内装をお願いしました。
とにかく、明るい清潔感のある店内に保つことを考えています。内装を綺麗にすると、やはり売り上げもグンと伸びます。やはり、お客様に手に取っていただくための最前線ですから、店をどう見せるかというのは非常に大きいと思っています。
Q 順調に業績を伸ばしていかれたのですね。
A 結果として、今から振り返れば“順調”のように見えるかもしれませんが、本当に何でもやってきたんです。
最初は、1日10,000円の壁を越えるのが大変でした。今までは、顔見知りのお客様だけだったところから、3倍以上の売り上げを上げないといけないので、看板なんかも夜中に自分で書いていました。とにかく毎日新鮮な情報を店先に出そうと、生地屋で白い布を買ってきて、毎晩作業しました。
Q がむしゃらに働いてこられた甲斐もあり、傍目には“順調”に見える中、「いちご大福」を商品化したのは、どのような背景があるのですか?
A 皆さんから、「どうやって考えたのですか?」ですとか「発想のキッカケは?」とよく聞かれるのですが、特別なものは何もないのです。
Q しかし、画期的な新商品ですよね?
A これは、私が“生んだ”商品ではなく、時代やなんかに“授かった”商品だと思っています。
先ほどから何度か申し上げていますが、本当に何でもやってきたんです。和菓子に合わせたらおいしいと思う食材は、思い付いたら本当に何でも試しました。勿論、時代や経験から、おいしくなるだろう、という予想の下でですが。

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<写真05> 色々な試行錯誤の中で生まれた傑作。
Q 何でもチャレンジしていた中から生まれたスーパー・ヒットだったと。
A そうです。「いちご大福」を開発した当初は、ヒットするなんて露ほども思っていませんでした。試作をパートの奥様方に食べてもらったら、「気持ち悪い」とか「絶対に合わない」等と酷評されました。
Q それでも商品化したのですね。
A 勿論、絶対にダメだと思っていたら出していません。あの年(昭和60年)、新聞の記事で今年の予想として「洋菓子の時代は終わった。和菓子が復権する。」というものがありました。
それに触発された面もあり、洋菓子の王様であるショートケーキのおいしさを和菓子で表現できないかと思うようになりました。ショートケーキのように、いちごを加工しないで使いたいと思いまして、色々試しました。どら焼きだと熱が入ってダメだな、とか。
Q やはりアイデアを実現できる技術は必要ですね。
A そりゃそうですね。
いちごの酸味に負けないあんこを試行錯誤したり、塩味を加えてみたり、この辺のサジ加減は、やはり経験と技術がないとできないと思います。
Q そして、“授かった”。
A そうです。
昭和60年2月6日にとりあえずと30個店頭に並べたところ、あっという間に30分で売り切れました。時代がバブルに向かう頃で、イケイケの雰囲気でしたし、フジテレビが近くにあったのも大きかったと思います。マスコミの方は、新しいものにアンテナを張っている人が多いですからね。
10年早くてもダメだったと思いますし、店の場所がもっと郊外でもダメだったのではないでしょうか。本当に色々なことがピタリと、パズルが完成するように当てはまり、「いちご大福」が大ヒットしました。全くをもって狙っていた訳ではありませんから、とても私が“生んだ”などといばれたものではありません。
Q それにしても「いちご大福」は、一時代を築きましたね。
A 私が一番うれしかったのは、翌年に全国の和菓子職人の団体「日本東和会」から2例目の『荒井公平賞』をいただいたことです。
缶詰の水ようかんを開発した中村屋の荒井公平氏の名前を冠した賞で、受賞理由が「いちご大福により、全国の和菓子屋の売り上げが3割上がった」というものでした。私が開発した「いちご大福」を全国の和菓子屋さんが採用してくださって、同業者の発展に寄与できた、すごく誇らしい気持ちになったことを記憶しています。
Q 今では、本店は観光スポットにようになっていますね。
A おかげさまで、中国や台湾のTVからも取材が入ります。
こうやって、多くの人に喜んでいただける作品を作ることができた、これが職人としての最大の喜びです。この“ものづくり”の喜びを、今の若者にも感じてもらいたいですね。
Q お忙しい中、色々とお話をお聞かせくださいまして、ありがとうございました。
[編集後記] ()大角さんが何度も繰り返しおっしゃっていた「何でもチャレンジした」というのがとにかく印象的でした。現在は、成功者というオーラがありますが、今の大角さんがあるのは、やはりがむしゃらに何でも試して、色々なことを実行してきたからなのだと改めて気付きました。「いちご大福の誕生」という“運”も、この試行錯誤があったからこそ、大角さんにもたらされたのだと思います。

大角玉屋

東京都新宿区住吉町8-25
TEL:03-3351-7735
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[自社ホームページ] http://www.oosumi-tamaya.co.jp/
[食べログ] http://tabelog.com/tokyo/A1309/A130903/13095298/