曙橋

 名前の由来

「曙橋」は、曙橋駅がある靖国通りの上をまたぐ陸橋として1957年に建設されました。「曙橋」という名前は、その前年1956年に一般公募により決定されました。戦後の復興と成長への願いを込めた名前だとのことです。

 曙橋の思い出

yanagi 【昔、住吉町町会長も務めた大御所】
私が20歳過ぎた頃に開通したのを憶えています。荒木町の芸者さんとかも集まり、盛大なパレードだったらしいです。パレードは見てないのですが、町は盛り上がっていましたよ。
mama_100  【商店街で60年以上お店をやっているお母さん】
私は完成パレードを合羽坂から見ていました。最初に、とびの親分たち、その次に荒木町の芸者さんたち、3番目に祖父母・親・子どもの三代が揃う方々、その後に建設会社や政治家のお偉いさんたちが続く、華やかなパレードでした。

※この「思い出」は、地元の人から聞いた話をそのまま載せており、記憶違いや勘違いなどがあるかも知れません。昔話程度に捉えてください。正確な情報が知りたい方は、必ず自分で確認をしてください。

 曙橋の橋脚の謎

「曙橋」の橋脚は“可動”なのではないかという造りなのです。なぜ、このような橋脚にしたのか?については現在謎のままです。

こういうのって、第三建設事務所に行けば教えてもらえるのでしょうか?

このように、土台が斜めにしつらえており、その上に設置された橋脚がくびれており、その部分が少し動くかのように見えます。

⇒ このくびれ部分は『支承』というようです。見たところ、「回転機能(ころがり機構)」の支承であり、車両荷重などの重みによる上部構造の変形に対応するための機能があるようです。

橋脚のくびれ部分の拡大画像です。丈夫にしたいなら、鉄筋コンクリートの柱にすればいいものを、わざわざこのようなくびれを残すような橋脚にするのは、どんな理由なのでしょう?

⇒ 上部構造の変形に対応するための形状のようなのですが、近付いて観察をしても、回転した形跡はありません。

可動のように見えるくびれ部分は、溶接されています。ここは、動くのか?動かないのか?謎は深まります。

⇒ 「回転機能(ころがり機構)」の支承であるということは、ペンキで塗り固められているだけで、実際には動いているのでしょうか。動いた形跡を発見した方は、是非、ページ下部記載のメールアドレスまでご一報を!

今度は、橋の鉄骨部分とコンクリート部分の境目に目をやると、橋が鎖で止めてあります。

⇒ こちらの機構は、まだ名称さえも分かっていません。

これは、橋の鉄骨部分がコンクリート部分から、ズレ落ちることが有り得るということでしょうか? ズレ落ちても被害が大きくならないために、鎖で止めているのでしょうか?

⇒ 橋の重量を支えるだけの丈夫な鎖なのでしょうか。

橋の鉄骨部分とコンクリート部分の境目を横から撮影した画像です。
別角度から、橋の鉄骨部分とコンクリート部分の境目を撮影した画像です。

我らが「曙橋」の謎の答えをご存じの方、
info@akebonobashi.info
までご連絡いただけますと幸いです。

よろしくお願いします。
※コロナが収束して、時間ができたら都庁や第三建設事務所に調べに行ってきます。