金弁財天
あけぼのばし通りを北に向かい、狭い「かわだ児童遊園」を過ぎて100mもしないで、右に東京女子医大病院への近道のような細い道があり、急な石の階段が見えます。その脇に佇む小さな弁天様が「金弁財天」です。
金弁財天(こんべんざいてん)の由来
詳細は不明な点が多いのですが、江戸時代、この地にあった松平伯耆守(ほうきのかみ)の屋敷に、元々はあったものだといわれます。
戦後しばらく朽ち果てた状態になっていたらしいのですが、東京女子医大の創設者である吉岡彌生先生や当時近隣に住んでいた企業経営者などが現在の地に再建したとのことです。
金弁財天の敷地は、現在も東京女子医大の厚意により病院の一画を提供してもらっているそうです。
狛犬の位置には、蛇がおり、左右の蛇はとぐろの巻き方が逆になっています。
弁天様の社に湧くように流れる水は、昔は本当の湧き水だったようですが、現在は水道だそうです。
管理・ご利益等
昔この辺りに住んでいて、嫁いでも管理のために定期的に来ている方や、
近所のお母さんたちによって、掃除をしたり、花をお供えしたりしていて、きれいに保たれています。
ご利益ですが、再興したのが女子医大の創設者だからか、病気平癒をお祈りするために遠方からくる人も多いそうです。
また、都市伝説に近い話ですが、狛巳(狛蛇)は金運を運ぶといわれ、実際にお参りした人に、いきなり大金が舞い込んだ、とかいう話も地元で出回っています。宝くじを当てたい方は、お参りをしてはいかがか、と。(^o^)
市谷亀岡八幡宮
金弁財天がある新宿区河田町の氏神様(鎮守の神様)である、市谷亀岡八幡宮の宮司様が現在でも、年3回(1月、5月、9月)のお祭りの日にいらしてくださっています。地元の神様とも繋がっているんですね。
金弁財天の玉垣の改修
金弁財天の玉垣(周囲の垣根)が改修され、なんとも味気ないコンクリートブロックになってしまいました。子どもが乗っかって、一部を壊してしまったのだそうです。子どもが怪我をしたら大変だからね、と工事のおじさんはおっしゃっていましたが、非常にもったいない気がします。 (左:2015年10月31日に撮影した工事中の写真) |
金弁財天の思い出
※ | この「思い出」は、地元の人から聞いた話をそのまま載せており、記憶違いや勘違いなどがあるかも知れません。昔話程度に捉えてください。正確な情報が知りたい方は、必ず自分で確認をしてください。 |